北海道のスタートアップが最初の人事制度を設計するときの考え方——「まだ早い」が命取りになる前に
組織開発

北海道のスタートアップが最初の人事制度を設計するときの考え方——「まだ早い」が命取りになる前に

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北海道のスタートアップが最初の人事制度を設計するときの考え方——「まだ早い」が命取りになる前に

「人事制度?まだ10人なんで、そういうのは会社がもう少し大きくなってからでいいかなと思ってるんですけど」

札幌のスタートアップの代表から、こう言われたことがあります。正直に言うと、5年前の私なら「そうですね、もう少し先でいいかもしれません」と答えていたかもしれません。

しかし、500社以上の企業の人事に関わってきた今、私の答えは違います。10人の段階でこそ、人事制度の「土台」を作るべきだと考えています。なぜなら、人数が少ないうちに設計した「当たり前」が、30人、50人、100人になった時の組織文化の基盤になるからです。

北海道のスタートアップには、東京のスタートアップとは異なる環境と制約があります。この記事では、北海道のスタートアップが最初の人事制度をどう設計すべきか、実践的な視点でお伝えします。


なぜスタートアップに人事制度が必要なのか

「スタートアップは柔軟さが命。制度で縛ると動きが鈍くなる」——この意見はよくわかります。しかし、「制度がない」ことと「柔軟である」ことは、似ているようで違います。

制度がないことのリスク

人事制度がない状態で組織が大きくなると、以下の問題が発生します。

  1. 評価の不透明さ:「社長の好き嫌いで給与が決まっている」という認識が広がる。実際にはそうでなくても、基準が不明確だとそう感じられてしまう
  2. 給与格差の固定化:初期メンバーと後から入ったメンバーの間で、合理的に説明できない給与格差が生まれる
  3. キャリアパスの不在:「この会社にいて、自分はどうなれるのか」が見えない
  4. 採用基準の曖昧さ:「何となくうちに合いそう」で採用し、ミスマッチが増える

これらの問題は、5人の時には表面化しません。10人で兆候が出始め、20人で深刻化し、30人を超えると組織崩壊のリスクになります。

経営数字で見る人事制度の価値

スタートアップにとって、人材は最大の投資先です。従業員10人のスタートアップの人件費が年間5,000万円だとすると、これは年間予算の大きな割合を占めます。

この5,000万円の投資から最大のリターンを得るために、「誰に、どんな基準で、いくら払い、どう成長してもらうか」を設計するのが人事制度です。5,000万円の投資に対して無計画であることは、事業戦略が立てられていないことと同じくらいリスクがあります。


北海道のスタートアップ特有の環境

北海道のスタートアップには、東京とは異なる環境要因があります。

人材プールの制約

東京のスタートアップは、大手企業からの転職者、他のスタートアップ出身者、フリーランスのプロフェッショナルなど、多様な人材プールからの採用が可能です。一方、北海道——特に札幌以外——では、スタートアップ経験者の数が限られます。

このため、「スタートアップ経験がない人をスタートアップに適応させる」オンボーディングの仕組みが、東京以上に重要になります。

給与水準のギャップ

北海道のスタートアップが、東京のスタートアップと同じ給与水準を提示するのは現実的ではないケースが多い。しかし、「給与は低いけど、やりがいがあるから」で済ませていると、優秀な人材は東京のリモートワーク求人に流れてしまいます。

給与以外の報酬——ストックオプション、柔軟な働き方、北海道の生活の質——を組み合わせた「トータルリワード」の設計が必要です。

「顔が見える」関係性のメリットとデメリット

小さなスタートアップでは、全員が顔見知りです。これはコミュニケーションのスピードという点ではメリットですが、「人間関係のもつれが組織全体に影響する」というリスクもあります。

人事制度は、この「顔が見える関係性」をポジティブに活かしながら、属人的な判断に陥らないための「仕組み」として機能します。


最初に設計すべき人事制度の3本柱

スタートアップが最初に設計すべき人事制度は、シンプルでいい。むしろ、シンプルであるべきです。複雑な制度は運用コストが高く、変化の速いスタートアップには向きません。

柱1:等級制度(グレード制度)

「この会社では、どういう人が"上"で、どういう人が"上でない"のか」を定義する仕組みです。

スタートアップの初期段階では、3〜5段階の等級で十分です。

  • グレード1:担当者レベル。指示を受けて業務を遂行する
  • グレード2:リーダーレベル。自分の判断で業務を遂行し、後輩を指導する
  • グレード3:マネージャーレベル。チームの成果に責任を持つ。経営方針を現場に落とし込む
  • グレード4:ディレクターレベル。部門の戦略を立案・実行する。経営に参画する
  • グレード5:CxOレベル。全社の経営に責任を持つ

各グレードに求められる「能力」「行動」「成果」を具体的に定義することで、「何をすれば次のグレードに上がれるか」が明確になります。

柱2:報酬制度

各グレードに対応する報酬レンジ(上限と下限)を設定します。

例:

  • グレード1:年収300〜400万円
  • グレード2:年収380〜500万円
  • グレード3:年収480〜650万円
  • グレード4:年収620〜850万円

報酬レンジを設定することで、「同じグレードなのに給与が大きく違う」という不公平感を防ぎ、「次のグレードに上がればこのくらいの報酬になる」という見通しを持てます。

加えて、スタートアップならではの報酬として、ストックオプション(SO)の設計も重要です。SOは「会社の成長に対する金銭的なコミットメント」を生む強力なツールですが、設計が複雑で、税務上の注意点も多い。早い段階で専門家に相談することをお勧めします。

柱3:評価制度

評価制度は、「何を評価するか(評価項目)」「どう評価するか(評価プロセス)」「評価をどう報酬に反映するか(反映ルール)」の3つで構成されます。

スタートアップの評価制度で重要なのは、「事業フェーズに応じて評価基準が変わる」という柔軟性です。シード期とシリーズA以降では、求められる行動が異なります。

シード期の評価基準(例):

  • 複数の役割をこなせる柔軟性
  • 不確実な状況でも自分で判断して動ける主体性
  • プロダクト開発への直接的な貢献

成長期の評価基準(例):

  • 担当領域での専門性の深化
  • チームビルディングとメンバーの育成
  • 組織のプロセス構築への貢献

評価のサイクルは、四半期ごとが適切です。半年や1年では、スタートアップの変化の速さに対応できません。


採用基準の言語化——「うちに合う人」を定義する

スタートアップの採用で最もよくある失敗は、「何となくうちに合いそう」で採用することです。この「何となく」は、往々にして「社長と波長が合う」の言い換えであり、組織が多様性を欠く原因になります。

採用基準を言語化するには、以下の3つの軸で考えます。

軸1:スキルフィット 「この人は、我々が今必要としているスキルを持っているか」。具体的な技術スキル、業務経験、資格などの客観的な基準です。

軸2:カルチャーフィット 「この人は、我々の組織文化に馴染めるか」。ただし、「馴染める」を「同質的である」と混同しないこと。スタートアップの組織文化に必要なのは、「変化を楽しめる」「曖昧さに耐えられる」「自分で考えて動ける」といった姿勢であり、趣味や性格の一致ではありません。

軸3:ポテンシャル 「この人は、1年後、2年後にどこまで成長できそうか」。スタートアップは組織が急速に変化するため、今のスキルだけでなく、成長のスピードと方向性も重要です。

札幌のあるSaaSスタートアップでは、この3軸を面接のスコアシートに落とし込み、面接官ごとの評価のばらつきを最小化しています。「社長がOKって言えば採用」ではなく、「3つの軸で基準を満たしているから採用」という判断プロセスに変えたことで、ミスマッチによる早期離職が大幅に減りました。


人事制度の「導入の仕方」が成否を分ける

良い制度を設計しても、導入の仕方を間違えると機能しません。

導入のステップ

  1. 経営チームでの合意形成:制度の目的、方針、スケジュールを経営チームで合意する
  2. 全社員への説明:「なぜ人事制度を作るのか」「どういう思想で設計したか」を率直に説明する。「社員を管理するため」ではなく「社員の成長と会社の成長を両立させるため」であることを伝える
  3. トライアル期間の設定:最初の半年〜1年はトライアルとして運用し、フィードバックを収集する
  4. 改善と定着:トライアル期間のフィードバックを反映して制度を改善し、正式運用に移行する

注意点:「制度を変えることへの抵抗」への対応

特に初期メンバーの中には、「今まで自由にやってきたのに、制度で縛られるのか」と感じる人がいます。この抵抗は自然なものであり、無視してはいけません。

「制度は縛るためではなく、公正さを保つためのもの」「あなたの成果を正当に評価し、報いるためのもの」——この趣旨を丁寧に説明し、「制度の中で自由にやれる範囲は十分に広い」ことを示す必要があります。


事例:人事制度を早期に導入して成功した北海道のスタートアップ

事例1:札幌のヘルステックスタートアップ(従業員15名)

創業3年目、社員が10名を超えた段階で人事制度の設計に着手しました。

きっかけは、初期メンバーの1人が「自分の給与がなぜこの金額なのかわからない」と退職したことでした。実際には社長は公正に設定していたのですが、その基準が共有されていなかったために不信感が生まれたのです。

この経験から、5段階のグレード制度と、グレードに対応する報酬レンジを設計。さらに、四半期ごとのOKRベースの評価制度を導入しました。

導入後、「自分の立ち位置と、次に何を頑張ればいいかがわかるようになった」という声がメンバーから上がり、エンゲージメントが向上。その後の採用でも、「この規模でちゃんと人事制度がある」ことが差別化ポイントになっています。

事例2:帯広のアグリテックスタートアップ(従業員8名)

農業×テクノロジーのスタートアップです。創業メンバー3名に加えて、エンジニアと農業の専門家を採用する中で、「エンジニアの給与と農業専門家の給与をどう設定するか」が課題になりました。

市場価値の異なる職種を一つの組織で公正に評価するために、「職種別報酬テーブル」を設計。エンジニアは市場の相場に合わせた報酬レンジ、農業専門家は農業法人の相場に合わせた報酬レンジをそれぞれ設定し、グレードは共通で運用しています。

「同じグレード3でも、エンジニアと農業専門家で報酬が違う。でも、それは市場価値の違いであり、会社内での貢献度の差ではない」——この説明を全員が納得する形で行ったことで、職種間の不公平感を防いでいます。


スタートアップの人事で「やらなくていいこと」

最後に、スタートアップの人事制度で「やらなくていいこと」を挙げておきます。リソースが限られた中で、全部やろうとすると疲弊します。

  • 複雑な等級制度:3〜5段階で十分。10段階以上は運用コストが高い
  • 形式的な人事評価シート:何十項目もある評価シートは不要。重要な3〜5項目に絞る
  • 人事部門の設置:20〜30人まではCEOまたはCOOが人事機能を兼務で十分
  • 福利厚生の充実:基本的な社会保険と有給休暇があれば十分。福利厚生で差別化するのは、もう少し先のフェーズ
  • 完璧な制度設計:最初から完璧を目指さない。まず「最低限」を導入し、運用しながら改善する

まとめ:人事制度は「仲間への約束」

スタートアップにとって、人事制度は「仲間への約束」です。「あなたの成長を支援する」「あなたの貢献を正当に評価する」「あなたのキャリアに責任を持つ」——これらの約束を、口約束ではなく仕組みとして示すことが、人事制度の本質です。

北海道のスタートアップが10人、20人と成長していく過程で、「あの時に制度を作っておいてよかった」と思える日が必ず来ます。「まだ早い」と思った今が、実はちょうどいいタイミングなのです。

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