北海道の企業が「人的資本経営」を中小企業の現場で実践する方法——バズワードを「自社の言葉」に翻訳する
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北海道の企業が「人的資本経営」を中小企業の現場で実践する方法——バズワードを「自社の言葉」に翻訳する

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北海道の企業が「人的資本経営」を中小企業の現場で実践する方法——バズワードを「自社の言葉」に翻訳する

「人的資本経営って、結局うちみたいな会社には関係ないですよね」

旭川の建設会社の社長から、こう聞かれたことがあります。社員数45名。人事専任者はおらず、総務担当者が採用から労務管理までを兼務している会社です。「人的資本経営」という言葉はニュースで見かけるが、上場企業が投資家向けに開示するものであって、自社には関係がないと感じている。

この認識は、私は半分正しく、半分間違っていると考えています。

確かに、「人的資本の情報開示」という文脈では、上場企業を中心とした議論です。しかし、「人的資本経営」の本質——人を「コスト」ではなく「投資対象」として捉え、その価値を最大化することで事業成果につなげる——という考え方は、企業規模を問いません。むしろ、一人ひとりの社員の影響力が大きい中小企業こそ、この発想が経営に直結するのです。

北海道の中小企業には、人口減少と採用難という切実な現実があります。「人が足りない」という課題に対して、「人を増やす」だけでなく「今いる人の価値を最大化する」という発想がなければ、事業の持続可能性そのものが危うい。人的資本経営は、北海道の中小企業にとって「やるかやらないか」ではなく「どうやるか」の問題だと私は考えています。

この記事では、北海道の中小企業が「人的資本経営」という概念を自社の現場に落とし込み、実践するための具体的な方法を解説します。


「人的資本経営」とは何か——中小企業にとっての本質

本質1:人を「コスト」ではなく「投資」として見る

人件費を「コスト」として見ると、「いかに抑えるか」という発想になります。人件費を「投資」として見ると、「いかにリターンを最大化するか」という発想になります。この視点の転換が、人的資本経営の出発点です。

例えば、研修費用を「コスト」と見れば、「削れるなら削りたい」となります。しかし、「投資」と見れば、「この研修によって社員のスキルがどう向上し、それが売上や生産性にどう影響するか」という議論になります。同じ支出でも、見方によって意思決定が変わります。

本質2:「人の価値を最大化する」ことが事業成果につながるという確信

人的資本経営は、「人を大切にしましょう」という精神論ではありません。「人の価値を最大化することが、事業成果を最大化する最も効果的な方法である」という経営上の判断です。

札幌の食品メーカーでは、社長がこう話していました。「以前は、利益を出すためにまず人件費を見直すという発想でした。でも、それで優秀な人が辞めて、結果的に売上が下がった。今は、人に投資して一人当たりの生産性を上げることで利益を出す方向に転換しました。」

本質3:「測定して改善する」というサイクルを回す

人的資本経営のもう一つの本質は、「人に関する取り組みを数値で測定し、改善し続ける」という姿勢です。「研修をやった」で終わるのではなく、「研修後にどんな変化があったか」を測る。「採用した」で終わるのではなく、「採用した人材が3年後にどんな成果を出しているか」を追跡する。

この「測定と改善」のサイクルは、製造業や建設業では品質管理として当然のように行われています。同じことを「人」に対しても行う。それが人的資本経営の実践です。


中小企業が陥りがちな「人的資本経営の誤解」

誤解1:「開示しなければ関係ない」

人的資本の情報開示は、上場企業に対する要請です。しかし、開示が不要であっても、「自社の人的資本の状態を把握する」ことの価値はあります。自社の離職率が業界平均と比べてどうなのか、一人当たりの売上がどう推移しているか、研修投資額がどう変化しているか。これらを把握することで、経営判断の質が上がります。

誤解2:「大がかりな仕組みが必要」

「人的資本経営」と聞くと、高額なシステムの導入、コンサルタントへの委託、専門部署の設置を想像する経営者が多いです。しかし、中小企業の人的資本経営は、既存の取り組みの「見方を変える」ことから始められます。

帯広の物流会社では、毎月の経営会議で報告していた「人員数」の報告に、「一人当たり売上高」と「一人当たり付加価値額」を追加しました。これだけのことで、経営者の議論が変わったと言います。「人が足りない」という議論が「一人当たりの生産性をどう上げるか」という議論に変わった。

誤解3:「まず制度を整えなければ」

「人的資本経営を始めるなら、まず評価制度を見直して、等級制度を整備して、報酬体系を設計して……」と考える企業もあります。しかし、制度の整備は人的資本経営の一部であって、すべてではありません。制度がなくても、「社員一人ひとりの強みを把握し、最適な配置を考える」「業務の中で成長機会を意図的に設ける」といった実践はすぐに始められます。

誤解4:「投資対効果をすべて数値化しなければならない」

人的資本経営は数値を重視しますが、「すべてを数値化しなければ意味がない」という考えは行きすぎです。「この研修のROIは何パーセントか」と問われても、正確に算出できないことの方が多い。重要なのは、「大まかな方向性を数値で確認し、改善の手がかりにする」という姿勢です。


北海道の中小企業が「人的資本経営」を始める5つのステップ

ステップ1:自社の「人的資本の現在地」を把握する

まず、自社の人に関する基礎データを整理します。以下の項目を確認するところから始めます。

  • 社員数の推移(過去3年)
  • 離職率(全社・部門別・入社年次別)
  • 平均勤続年数
  • 一人当たり売上高(売上÷社員数)
  • 一人当たり人件費(総人件費÷社員数)
  • 一人当たり付加価値額(粗利÷社員数)
  • 研修・教育への投資額(年間)
  • 採用コスト(一人当たり)
  • 平均残業時間
  • 有給休暇取得率

これらのデータは、多くの場合、既存の給与計算システムや経営資料から取得できます。新しいシステムを導入する必要はありません。

函館の機械部品メーカーでは、総務担当者が半日かけてこれらのデータを整理し、A3用紙1枚の「人的資本レポート」を作成しました。社長はそれを見て、「うちの一人当たり売上高が5年前から横ばいだということに、初めて気づいた」と言いました。

ステップ2:経営課題と「人の課題」をつなげる

次に、自社の経営課題を洗い出し、それぞれの課題に「人」がどう関わっているかを整理します。

例えば、「売上が伸び悩んでいる」という経営課題がある場合、その原因を掘り下げます。

  • 新規顧客の開拓が進まない → 営業人材のスキル不足? → 営業教育の強化が必要
  • 既存顧客の離反が増えている → サービス品質の低下? → 現場の人員不足や疲弊が原因ではないか
  • 新製品・新サービスの開発が遅い → イノベーション人材の不足? → 採用・育成の戦略が必要

このように、経営課題を「人」の観点で翻訳することで、人的資本への投資の優先順位が明確になります。

ステップ3:「投資すべき領域」を特定する

ステップ2で整理した「経営課題と人の課題のつながり」をもとに、人的資本への投資の優先順位を決めます。

中小企業のリソースは限られています。すべてに同時に投資することはできません。「今、最も事業インパクトが大きい人的資本への投資は何か」を経営者と人事担当者で議論し、2~3つに絞り込みます。

北見の建設会社では、以下の議論が行われました。

  • 経営課題:現場の施工品質のばらつき → 人の課題:現場監督の育成が追いついていない → 投資領域:現場監督向けのOJTプログラムの体系化
  • 経営課題:採用難による人手不足 → 人の課題:応募者にとっての自社の魅力が不明確 → 投資領域:採用ブランディングの強化

この2つに絞って投資することを決め、「やらないこと」を明確にしました。

ステップ4:小さく始めて測定する

投資領域が決まったら、小さく始めます。完璧な計画を立ててから始めるのではなく、「まずやってみて、結果を測定し、改善する」というサイクルを回します。

重要なのは、「何を測定するか」を事前に決めておくことです。

例えば、現場監督向けのOJTプログラムを始める場合、以下のような指標を設定します。

  • 施工品質に関するクレーム件数の変化
  • 現場監督の上長による評価の変化
  • 現場監督自身の自己効力感の変化(簡易アンケート)
  • 施工完了までのリードタイムの変化

すべてを精密に測定する必要はありません。「大まかな方向性がわかる程度」で十分です。

ステップ5:経営会議で「人的資本の話」を定例化する

人的資本経営を継続するために最も重要なのは、「経営会議で人の話を定期的に議論する」ことです。

月に一度、経営会議のアジェンダに「人的資本レポート」の報告を組み込みます。売上や利益の報告と同じように、人に関する主要指標を報告し、変化とその要因を議論します。

「数字を見ながら人の話をする」——この習慣が根付くことで、人的資本経営は「特別なプロジェクト」ではなく「日常の経営活動の一部」になります。


北海道の中小企業における実践事例

事例1:一人当たり付加価値額を経営指標にした食品メーカー(札幌市・社員数60名)

この会社では、社長が「人的資本経営」のセミナーに参加したことをきっかけに、経営指標に「一人当たり付加価値額」を追加しました。毎月の経営会議で、売上・利益とともに報告されます。

結果として、「人を増やすべきか」という議論の質が変わりました。以前は「忙しいから人を増やしたい」という現場の要望に応じていたのが、「一人当たり付加価値額が下がっている。業務効率化を先にやるべきではないか」という議論ができるようになった。

社長は「人を増やすことが悪いのではない。ただ、増やす前に、今いる人の生産性を最大化する方法を考えるようになった」と話しています。

事例2:社員の「スキルマップ」を作成した建設会社(帯広市・社員数35名)

この会社では、社員一人ひとりの保有資格、業務経験、得意分野をExcelで整理した「スキルマップ」を作成しました。特別なシステムは使わず、A3用紙1枚に全社員の情報を一覧化したものです。

これにより、「この現場には、この資格を持つAさんとBさんを配置すると最も効率的」「来年度の大型案件に対応するためには、Cさんにこの資格を取得してもらう必要がある」といった議論ができるようになりました。

社長は「以前は、人の配置は現場の勘でやっていた。スキルマップを作ったことで、戦略的に人を動かせるようになった」と評価しています。

事例3:「学びの予算」を社員に配分した IT企業(札幌市・社員数25名)

この会社では、年間一人当たり10万円の「学びの予算」を設けました。書籍購入、オンライン講座、セミナー参加など、業務に関連する学びであれば自由に使えます。

導入当初は「誰も使わないのではないか」と心配されましたが、実際には初年度で平均7万円が活用されました。社員の間で「あの本が良かった」「このオンライン講座が仕事に役立った」という情報共有が自然に生まれ、学びの文化が醸成されつつあります。

経営上の成果としては、導入後1年で離職率が低下しました。社長は「因果関係を断定はできないが、社員が『この会社は自分の成長に投資してくれる』と感じてくれているのではないか」と話しています。


北海道特有の文脈と人的資本経営

文脈1:人口減少と高齢化が「人的資本経営」を不可避にする

北海道の生産年齢人口の減少は、全国平均を上回るペースで進んでいます。「人が採れない」時代に、企業が持続的に成長するためには、「今いる人の価値を最大化する」以外に方法がありません。人的資本経営は、北海道の企業にとって「選択肢」ではなく「生存条件」になりつつあります。

文脈2:広域分散型の組織構造への対応

北海道は広大です。札幌本社と各地の営業所・工場が離れているケースが多い。人的資本経営では、拠点ごとの「人的資本の状態」を把握する必要があります。本社の状況だけを見ていては、組織全体の人的資本の実態がわかりません。

拠点ごとの離職率、一人当たり生産性、スキルの分布を把握し、「どの拠点にどんな投資が必要か」を判断する。広域分散型の組織では、この「見える化」の仕組みが特に重要です。

文脈3:季節変動産業における人的資本の考え方

農業関連、建設業、観光業では、繁忙期と閑散期の差が大きい。閑散期は「コスト」として見ると人件費の負担が重く感じられますが、「投資」として見ると、閑散期は「人材育成の最大のチャンス」です。

閑散期に計画的に研修を行い、資格取得を支援し、次のシーズンに向けた準備をする。この発想の転換は、北海道の季節変動産業にとって、人的資本経営の大きなメリットです。


「人的資本経営」を継続させるための仕組み

仕組み1:四半期ごとの「人的資本レビュー」

ステップ1で作成した「人的資本レポート」を四半期ごとに更新し、経営者と人事担当者で振り返りを行います。指標の変化、施策の進捗、今後の重点課題を議論する場を定期的に設けることで、人的資本経営が「やりっぱなし」にならずに済みます。

仕組み2:社員への「見える化」

人的資本経営の取り組みを、社員にも共有します。「会社がどんな人材投資を行っているか」「その結果、組織がどう変化しているか」を定期的に伝えることで、社員のエンゲージメントが高まります。

ただし、注意が必要です。「数字で人を評価している」と受け取られないよう、伝え方には配慮が必要です。「会社は皆さんの成長に投資しています。その結果を一緒に確認し、より良い組織にしていきたい」という姿勢を示すことが重要です。

仕組み3:外部との比較

自社だけの数値を見ていても、それが「良いのか悪いのか」がわかりません。業界平均や地域の他社との比較ができると、自社の現在地がより明確になります。業界団体の統計データ、厚生労働省の調査データなどを活用して、比較の軸を持つことが重要です。


人的資本経営を「経営言語」で語る

人的資本経営を社内に浸透させるためには、「経営の言葉」で語る必要があります。

「社員を大切にしましょう」では、経営者は動きません。「一人当たりの付加価値額を10%向上させることで、売上を維持しながら利益率を改善できる」と語れば、経営判断として議論できます。

人事担当者に求められるのは、「人の話」を「経営の話」に翻訳する力です。感情や理念だけでなく、数字と事業への影響で語る。この翻訳ができれば、人的資本経営は経営者にとって「コスト」ではなく「戦略」として認識されるようになります。

北海道の中小企業が「人的資本経営」を実践するために、最初にやるべきことはシンプルです。「自社の人に関するデータを整理し、経営会議で議論する場をつくる。」この一歩が、人を「コスト」から「資本」に変える起点になると私は考えています。

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